父を見送りました。
父はいつも動き回っていて、なかなか一緒の時間が無かったけど。
至って普通の生活をしていた父が倒れて救急搬送されてから
心配で悲しくて、ずっと手をさすったり足をさすってあげました。
触れ合うことが苦手な世代の父に、今までの感謝をこめてそばにいました。
いずれ天命を全うするとわかっていても、急なお別れはツライです。
せめて後悔のないよう、出来る限り一緒に居たいと思い付き添いました。
家庭では知ることのできなかった、外の社会での父の生き方を
通夜、葬儀を通して初めて知りました。
人のために生き、人のために命を捧げた、と導師様が例えたように
たくさんの方が父のために泣き、悲しんでくれていました。
改めて葬儀の儀式は気持ちのふんぎりをつける意味で大切な時間なのだと思います。
家族が亡くなるのはじんわりくることと覚悟はしつつ、
いつもの笑顔と温かな声で、今ごろあちこちにお礼をしに飛び回っているだろうなぁと・・・
改めて、自分の老後と自分の最期のことを考えました。
損得なしに生きた父の交友関係は広く、娘ながらにカッコイイな、と思いました。
私の場合はこんなに嘆き悲しんでくれる人がどれだけいるかな?と・・・
もっともっと親孝行をしたかった。
いつも身近に居るという安心感を持っている間に、後悔のないよう親を大事にして
思っていることや、やってあげたいことは遠慮せずに行動におこさないと、と思う。
お釈迦様の弟子になるために、送り出す儀式である告別式。
導師さまの太く威厳のある声で戒名を3度唱えられたら、気持ちのふんぎりがついた。
父は現世からもっと広いところに行き、生き続けるように感じ取ったから。
父は現世のお勤めをたくさん残していったけど、ある意味でお役目を果たしたのだろう。
だとしたら悲しむのではなく、お疲れさまと労い、バトンを受け取った私の役目があるはず。
時々涙が出ることもあるだろうけど、周りにいる家族や友人を大切にして、ご縁のある人とも
いいお付き合いをしていけるよう、暮らしていきたいと思う。
おとうさん、いままでありがとう。これからも家族を見守っていてね♪